長崎
・原爆資料館
この資料館では、被爆の惨状をはじめ、原爆が投下されるに至った経過や核兵器開発の歴史などを紹介し、被爆から現在までの長崎の復興の様子を、ストーリー性のある展示を交えながら、核兵器のない世界の実現に向けて平和を発信しています。
被爆直後と現在の長崎の風景写真を比較すると、目覚ましい勢いで復興した長崎の街と長崎市民の逞しさがひしひしと伝わってきます。
・平和公園
原爆落下中心地公園北側、小高い丘にある平和公園は、悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓いと、世界恒久平和への願いを込めてつくられました。
長崎市民の平和への願いを象徴する平和祈念像。制作者は長崎出身の彫刻家で、この像は神の愛と仏の慈悲を象徴し、天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いを込めました。
・グラバー園
長崎港の大パノラマを見下ろす南山手の丘に位置し、異国情緒あふれる長崎屈指の人気観光スポットです。
国指定重要文化財の旧グラバー住宅・旧リンガー住宅・旧オルト住宅をメインに、市内に点在していた6つの明治期の洋館を移築し、復元しています。居留地時代の面影を残す石畳や石段が、歴史や文化の香りを一層引き立てています。園内各所が花々で彩られており、いつどこを切り取っても絵になる空間ばかりです。
・大浦天主堂
幕末の開国後に長崎居留地に建設され、国内現存最古の教会として知られています。南山手グラバー通りに面して建ち、美しいステンドグラスが施されたゴシック様式の教会です。
1864年末に竣工した翌年3月、浦上の潜伏キリシタンが訪れ信仰を告白したことにより、世界の宗教史上にも類を見ない「信徒発見」の舞台となりました。建立直前に殉教した、日本二十六聖人に捧げられた教会であり、天主堂の正面は、殉教地である西坂に向けて建てられています。
・眼鏡橋
1634(寛永11)年、興福寺の黙子如定(もくす にょじょう)禅師が架設したとされている眼鏡橋。川面に映る影が双円を描き、「メガネ」に見えることからこの名前がついたと言われ、東京の「日本橋」、山口の「錦帯橋」と並び、日本三名橋に数えられます。
1982年の長崎大水害で一部崩壊しましたが翌年復元され、国の重要文化財に指定されています。
・出島
徳川幕府の命により築造された、人工の島「出島」。
1636年に完成し、約200年もの間、わが国で唯一西欧に開かれた窓として、日本の近代化に大きな役割を果たしてきました。明治期に、役割を終えた出島の周囲は埋め立てられ、海に浮かぶ扇形の原形は姿を消しましたが、1951年、長崎市が出島の復元整備を開始し、現在までに16棟の建物や景観が当時の姿を取り戻しました。まるで、19世紀の初めにタイムスリップしたかのような空間が広がります。
・稲佐山
長崎市のランドマーク的存在で、夜景鑑賞で賑わう、人気のフォトジェニックスポットです。
鶴の港と称される長崎港を中心に、山々に囲まれたすり鉢状の地形が独自の立体的な夜景を作り出し、「1,000万ドルの夜景」として知られています。その美しさが認められ、2021年の「世界夜景サミットin長崎」において、モナコ、上海と共に「世界新三大夜景」に選ばれました。また「夜景サミット2022 in札幌」においても、稲佐山を含む長崎市が「日本新三大夜景」に再認定されました。
・日本二十六聖人記念館
1597年2月5日、豊臣秀吉のキリシタン禁教令により、日本で初めてキリシタン26人が処刑されました。殉教の地である「西坂の丘」に、1962年、日本二十六聖人列聖100年を記念して建立された資料館で、世界的に知られる、カトリック教徒の公式巡礼地です。
建物は記念聖堂と共に建築家・今井兼次氏の設計で、二十六聖人の等身大ブロンズ像がはめ込まれた記念碑は、彫刻家・舟越保武氏の作品です。
・女神大橋
女神大橋(ヴィーナスウィング)は、長崎港によって分断されている、長崎市南部と西部を最短距離で結んでいます。塔と桁を、斜めに張ったケーブルでつないで支える構造を持つ、斜張橋としては、国内で6番目の長さを誇り、大型船舶も通過可能な、桁下65mの高さを確保しています。
また、夜間にはライトアップされ、香港・モナコと共に、「世界新三大夜景」のシンボルとなっています。通常は白を基調とした照明ですが、イベントの際は、彩りある演出照明がされます。その美しさは「日本夜景遺産(ライトアップ夜景遺産)」にも認定されました。